1950年代、中国との激しい砲撃戦の舞台となった台湾の離島、金門島。そこは、近代戦における最も過酷な戦場といわれた。当時、張先生は、台湾軍の一 兵卒として、金門島で、古いライフルと足りない弾奏を持ち、国を守るために命を賭して戦い抜き、日本が捨てた去った大地を守り抜いた。
張先生が金門島の戦争を回顧する時に、頭に過ぎった質問。先生は、「何のために、戦ったのでしょうか?」、ずっと聞くことの出来なかった質問。 |
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塹壕に身を埋め、ライフルの狙いを絞る。隣の戦友の頭が、「パン」と乾いた音共に、スイカのように弾け飛ぶ。夜には、戦友の死体を引きずり、埋めに行く。毎日、毎日、繰り返される生と死。硝煙の臭いと、死に包まれた孤島で、ライフルの狙いを定める。敵を見つめると共に、見つめられる自分の死をも意識する。張先生のおっしゃる「まだ見ぬ自分」との出会いは、確かにそこにあったのかもしれない。
生死は、幼い頃から見てきた。物心付いた時には、父親の経営する張木病院を元気に走り回り、青年になるにいたっては厳しい父親に叩き込まれた医術の才能と手腕を病院内で発揮させ、人を活かす医術の研鑽に明け暮れた。
張明澄先生は、多くの死線を潜り、また、多くの命をも救った。その両目は、あまりにも多くの生や死を見つめ過ぎた。
その疲れた目を覆い隠すように閉じ、何を思っていたのだろうか?
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台湾という歴史に翻弄された国で、日帝統治下の台湾で、日本人として生まれた。台湾人でありながら、運命は、彼に台湾人であることを許さなかった。その後、蒋介石の統治下による国民党の恐怖政治の中で、張明澄先生にとって、国家とは何だったのだろうか?
「世界中が、アメリカのように自由になったら良いのに。」
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張明澄先生の口癖であった。およそ、政治や国家というものに対して、一切の関心を持たずに、口にすることも憚れると言わんばかりで、日本に来て、もう一度、日本人になった張明澄先生の歴史は、数奇な人生であった。
「台湾も、日本も同じ孤島でしょう。だから、小島という姓を自分に与えた。」
張先生は、自分の日本人名を滑稽に説明する。でも、本当は、先に日本に移住し、通称名を「小島」に決めた、歯科医院を開業する弟との絆だった。
「弟が小島なのに、兄貴が、違う姓だといけないと思ったのだろう。」
張明澄先生のお兄さん張明彦さんは、その様に語る。
時として、国家や政治などというものに否定的な張先生でも、弟との絆は、大事なものであった。日本に来て早稲田大学で教鞭を務めていた妹が、張先生に先立つ一年前に白血病で亡くなり、晩年寂しい想いをしていた張先生にとって、お兄さん張明彦さんは、心の拠り所だった。
そんな、張明澄先生を身近で見てきた張明彦さんは静かに語る。
「自分の弟のことを言うのもなんですが、一代の突出した天才でした。
また、あいつは就職もしないで、日本で自分の力で、二人の娘を立派に育てた。」
今でも、西洋銀座ホテルの2階の喫茶店に来ると、思い出してしまう。そこは、一代の天才が思いを馳せた夢の跡。そして、思わず聞きたくなることが溢れ出す。
何度も国家であることを止めた台湾、生命を賭して守った生まれ故郷。歴史に翻弄されながら、強く生き抜き、五術文化を自分の初めての国家である日本にもたらした。 |
「張先生にとって、国家とは日本だったのではないだろうか?また、誰よりも、この国家
のことを思い、誰もがなさなかった裏側の文化の精髄である五術を日本に伝播したの
では?誰よりも、日本を愛していたのでは?でも、この日本に国家と呼べる尊厳が
あったのだろうか?張先生こそ、本当の日本人、侍(サムライ)だったのでは?」
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フカフカの椅子に身を沈めて目を閉じ、張先生を偲びながら、静かに思いを馳せる。ここで、 張先生は、目を閉じ、「まだ見ぬ自分」と出会っていたのかもしれない。ぼくは、目を開き、そこにもう張明澄先生がいないことだけを噛み締める。
裕福な家庭に生まれ育ち、若い頃から天才の名前をほしいままにし、台湾での将来を期待されていたが、台湾を捨て、家宝の家伝と共に、五術文化を伝播するために、日本に来た。張先生にとって、初めての国家である日本に来た。そして、また、日本人になった。人生で二回も日本人になった。
今では、張明澄先生が、何故、生命を賭した戦争を生き抜き、日本に来たかを確信している。それは、この日本、「国家」たのめに、張明澄が先生が、どれほど、文化人として貢献したかが全てを物語っているのではないだろうか。
日本で消えた一つの命。戦争を通して、世界を知り、自分を知り、そして、ぼくたちに生きることを教えてくれた。
巨人、張明澄、南華真人に伝えたい感謝! |
「先生から、冒険を通して、世界を知り、自分を知り、生きることを学んだ。
“人生とは一体、誰のものなんだ?”
先生は、ぼくの人生を取り戻すことを教えてくれた。
だから、ぼくは、また歩いて行ける。まだ、見ぬ自分と出会うために。」
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