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 故張明澄先生と始めてお会いしたのは、今から丁度10年も前のことで、特に子平の話題で盛り上がったことを覚えております。 明澄先生はお祖父さんであった王文澤に五術において非常に厳しい教育を受けたそうです。一番たいへんだったのは、子平原典の難解な『滴天髄』を覚えさせられたときに暗記がちゃんとできていないと棒で何度も叩かれたそうです。
 明澄先生は『滴天髄』を見ると当時の苦しい体験を想い出すと言っておりました。確かに幼少時に『滴天髄』を覚えさせられるというのは、非常に興味深いお話であると想います。

 五術の世界において子平のまさに『滴天髄』は中国運命学の正統な伝統にあり、五術の家元に生まれるということは、その五術の基本を幼少時のときから徹底的に叩き込まれるわけです。
 『滴天髄』は子平推命の完璧な秘伝書(ウパデーシャ)として絶大なる名声を博しているにも拘わらず、その内容の心髄を本当に理解している人は現代においてほんの僅かであることは紛れもない事実であるようです。故張明澄先生の『滴天髄』の注釈が発表されて早、数十年が過ぎ去ってしまいましたが、その本質を悟ってその血脈の伝授を現代において正しく行っている人は果たして何人居るのかたいへん疑問であります。門派の掌門は十年に一度この『滴天髄』に注釈をし直すという伝統があると言われております。

 私が発見した最古の滴天髄のテキストの明代の劉青田、誠意伯劉伯温の『滴天髄』を明澄先生にお見せしたところ、この『滴天髄』の原典の信頼性と原文の正しさを高く評価して頂いたことがありました。奇門遁甲の原典においても張明澄先生がお伝えになった『奇門天書・地書』の源流となった奇門遁甲の原典を私が発見しておりましたが、先生にお見せする前に他界なされました。非常に残念でなりません。このように五術の伝授の血脈を絶やさないようにするということは、並大抵の努力では務まらないようです。さらにまた先生より明澄五術の『大法』を始めとする各種写本を譲って頂いたときも、快く誠意をもって対応して頂き、心より明澄先生に感謝しております。

 張明澄先生のご冥福を祈りながら、五術の伝授の血脈を絶やさないように私なりに精一杯努力して行こうと思っております。先生が成し得なかった五術のジャンルを私なりに研究を深めて世の人々に五術の心髄を広めて行こうと思っております。

 今回の張明澄先生記念館発足を記念して丁度私が発表した『滴天髄』も10年経つので新たな注釈を施した『滴天髄』を発表しようと思っております。劉基はこの『滴天髄』と『郁離子』『奇門遁甲』を現すことによって完全に腐敗した当時の世の中を浄化しようとし、古代中国の伝統を蘇らせる為に人事を尽くした人物であります。残念ながら今の現代も当時とまったく同じ状況にあることです。時代は巡っても人間の本質は何ら変わっていないようです。五術には世を救う条件や可能性を十分持っていることを世の中に確信させることに大きな意味があると思います。それがすべての五術家の本当の役割でもあるといえるでしょう。
2008年 6月8日 吉日 阿藤 大昇